フォルテールの歴史

この章ではフォルテールの歴史について解説します。主に伝承、古文書に記されているフォルテール、ならびに現代ターブルロンドにおけるフォルテールについて各々概略を説明します。
伝承におけるフォルテール
ターブルロンドのフォルテール史

伝承におけるフォルテール

 フォルテールという楽器に関する記述は古文書や各地の伝承の中に所々あらわれており、古代の時代からフォルテール、もしくは現代フォルテールの基礎となった何らかの楽器が存在していたものと考えられています。しかし、これらの古文書や伝承に示された地名、年号などが殆ど現在ターブルロンドで用いられているものと大きくかけ離れており、対比すら難しいことから、これらの伝承は神々や闇の者によって異世界よりもたらされたものであるとする説、過去の何者かによる創作であるとする説、協会によって真実の隠蔽のため流された偽作であるという説なども唱えられています。長い過去を生きる闇貴族に訊ねればもしかすれば真相が分かるのかもしれませんが、現在でも議論の決着はついておりません。

 フォルテールという楽器について言及されている最も古い伝承と考えられているものは「天使演唱会」と名づけられた(研究上の区分のための名称。以下同様)(訳注:エンジェリック・コンサートのこと)ものであり、GA5015年、風の国フォルラータにてフォルテニストの少年カウジーと、天使の力を秘めた少女サフィが王都で開かれる演奏会に参加するため旅を続ける物語です。これによるとフォルテールは風の魔導石という魔法の力を秘めた石によって自在に音楽を奏でる鍵盤楽器とされています。天使演唱会の時代にはフォルテールは極めて一般的な楽器であり、毎年王妃の誕生日を記念して演奏会が開かれたという記述が見られます。この当時、フォルテールには決まった形はなく、伝承においても現在のキーボードのようなものから、むしろピアノやオルガンに近い形のものも散見されます。

 次いで「天使演唱会」の続きと考えられている伝承「天使小夜曲」(訳注:ASDVD〜生まれたばかりのLoveSongのこと)にてフォルテールが再び脚光を浴びます。土の国グランドールの辺境にあるフォンティーユの町における、失われた何かを求めて旅を続けるフォルテニストであるクラビスと、言葉を話せないが歌うことは出来るというオッドアイの少女ラスティ、そして天使の羽根にまつわる恋愛物語(一節によると悲劇)です。現在ではこのクラビスと天使演唱会におけるカウジーが同一人物であったとする説が一般的であり、天使小夜曲は天使演唱会のおおよそ200年後の話と考えられています。ここにおいてもフォルテール自体の記述はあまり変化してはいません。主人公クラビスの用いているフォルテールは現在のキーボードによるものに近い、キーが2次元的に多数ついているものであったと伝えられています。

 前者2つの伝承は設定に多数の類似点が見られるため同一の伝承の別々の部分を切り取ったものと考えられていますが、それとは全く異なるフォルテールが登場する伝承として「交響楽之雨」があげられます(訳注:シンフォニック=レインのこと)。年代は不詳であり、舞台は雨が降り続く音楽の街ピオーヴァとされています。この街の音楽学院のフォルテール科に通うフォルテニスト見習いクリスと、恋人のアリエッタ、その妹トルティニタ、そして音の妖精フォーニを中心とする悲劇(基本的に悲しい結末を迎える説が多いが、一説によると大団円を迎える)として語られています。この伝承においては魔法自体の存在は否定されており、ただフォルテールのみが素質を持つ者のみが奏でることの出来る原理不詳の魔導楽器と説明されています。形状に関しては言及されていませんが、ピアノとフォルテールがそれぞれ存在していたようで、現代フォルテールのようなキーボードタイプであったという説とピアノに似たタイプであったという説双方が主張されています。現代フォルテールもその原理自体は協会の手によるもので我々にとってはむしろ魔法に近いものであることから、この伝承においてあらわれるフォルテールは現代フォルテールに近い者であったのではないかと考えられます。

 最後に異聞として「可愛小鍵盤」(訳注:ディアピアニッシモのこと。ちなみに中文版はまだ無いです)があげられます。これもそれまでの伝承とは全く関係が無く、年代、場所不詳(2006年、高円寺ともいわれている)で、嵩科愁と暮里菜葱という少年少女、そしてアップライトピアノの妖精ぴあのによる生と死の狭間の世界コンサヴァトリで生き返りをかけた演奏勝負の様子が語られます。この伝承中にはフォルテールという語句もそれに類する説明もなされてはおらず、登場するのはアップライトピアノのみとなっています。が、その表現手法、演奏によって鳴らされた音がピアノのものではなくフォルテールに近いと考えられており、これも異聞としてではありますがフォルテールに関する伝承のひとつに数えるという解釈が一般的です。

 その他、古代においては伝承を語る際に用いられた音楽がフォルテール譜として残されたというケースが多く見受けられ、現代でもそれらのいくつかは協会の手によって復刻され、現代フォルテールにて演奏することが可能となっています(訳注:各種追加プラグイン曲)。

ターブルロンドのフォルテール史

 次に翻って、我が国ターブルロンドにおける現代フォルテールの歴史について解説します。こちらに関してはかなり詳細な記録が残されており、また協会も積極的に公開していることからかなり詳しく正確な事実が判明しております。

 ターブルロンドにフォルテールがもたらされたのは中興の祖とされる女王フィーリア陛下の御治世の2代前、当時の国王グランレーギスが協会と盟約を結んだ際に協会より技術の一環としてもたらされました。当時は大変珍しいものであり、また伝承から限られた素質のある者しか奏でることが出来ないという意識が強く浸透していたせいもあり、ごく限られた音楽研究家によって細々と研究、演奏技術の確立が行われていきました。

 それが現在のように一般的に広まったのはやはりフィーリア陛下の御治世です。王の試練を乗り越えられターブルロンド中興の祖と称えられるまでになったフィーリア陛下のもと、この時代ターブルロンドは大きな発展を果たし、また女王陛下のもとに集った多数の優秀な貴族、騎士たちの手によってフォルテールは一気に国中に広まることになりました。

 この時代フォルテールの進歩に最も大きく活躍した人物には、まず我が国国産のフォルテールを発明、生産技術の確立を果たした貴族エピドート郷が存在します。音を奏でる原理、動力源それ自体は協会からもたらされるブラックボックスであることは今でも変わりありませんが、外観、音色を決定する音響部分、そして何よりフォルテール演奏の弾き心地を直接左右するキーボード部分の生産、改良が発明家でもあったエピドート卿の手によってなされ、同時にごく限られた人しか手にすることの出来ない高価な楽器であったフォルテールを、頑張れば平民でも購入できるまでに大衆化することに成功しました。現在フォルテールのキーボード部分を好みに応じて変更できるようになっているのも卿の発明の功績です。

 また、いち早くフォルテールの演奏技術に着目し、フォルテール譜自体の演奏(現在ではHARDモードと呼ばれています)に対し、比較的簡単な練習用の譜面(現在のNORMALモードです)を作成、フォルテール入門の敷居を大きく引き下げた騎士エヴァンジル卿の功績も大きなものです。一説によれば卿は子弟である貴族のお嬢様方のご機嫌を取るために作り上げたともいわれておりますが。ちなみに現在EASYモードと呼ばれる譜面もこの時代、貴族バスティアン卿がNORMALでも難しすぎて弾けないと駄々をこねたため彼の執政であった協会員セーズがやむを得ず作ったものであるという説も存在します(ただしこの説は明確な証拠もなく根拠に欠けるため、現在は正史として認められていませんが、EASY譜が他2つに比べて著しく音楽性に欠ける点、バスティアン卿の手記に女王フィーリア陛下自ら演奏の一部を肩代わりして共に弾いてくれたとの記述があることからも信憑性は高いと考えられています)。

 演奏面では当代随一、そして現在に至るまで誰も超えられていないといわれる名フォルテニスト、貴族オベルジーヌ卿の活躍がありました。当時の貴族の中でももっとも芸術に明るく、また類い希な才能を持っていた彼は、まさに魚が水を得るが如くフォルテール演奏技術を飛躍的に向上させ、現代奏法の基礎を確立するまでになりました。

 さらに、この時代のフォルテール史を語る上で外すわけには行かないのが、ターブルロンド第2の国歌とも言われる名曲Rosa di Vittoriaの誕生です。生涯女王フィーリア陛下に付き従ったとされる騎士アストラッド卿の王女に対する敬愛の念を歌ったとされるこの歌は国中で過去現在に渡って愛され続けており、フォルテール譜もいち早く誕生して現代フォルテール曲の代表作となっています。

 その後、フィーリア陛下ご自身のご下命により当音楽院が設立され、女王の侍女でもあった初代院長エクレールの元ターブルロンドの音楽、そしてフォルテール演奏の歴史は大きく羽ばたいていくことになり、現在に至ります。


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